エイズ・ポスター・プロジェクトのページ(4)

日本と海外のエイズポスター展示

 エイズ・ポスター・プロジェクト(APP)発足の大きなきっかけになったものの一つに、1993年に、日本の有名デザイナーたちがエイズをテーマに行ったポスター展があります。そうそうたる顔ぶれのデザイナーたちが作ったポスターは、当時日本で、あらゆるメディアによって流されていたエイズの典型的なイメージ…エイズ=恐怖=死=セックス=撲滅=外国のもの=悲惨…をまったくそのままの状態で伝えるものでした。完成されたデザイン、美しい写真・文字・色彩を使って…。

 当時APPのメンバーには美術系の大学生が多かったのですが、アーティスティックな表現の可能性をナイーブに信じていた美大生たちにとって、それは言葉にならないショックでした。役にたたない情報を完成度の高い視覚表現をもってまき散らすことの無意味さ。そればかりか、感染者の存在を無視した表現の数々…。

「なぜエイズに関するポスターの表現が、HIV(エイズの原因となるウイルス)に感染している人を不愉快にするものになるのか?」
「エイズという一つの病気に、寄ってたかって貼り付けられたイメージやレッテルはどうやったらはがせるのか?」
ここから、APPの活動が始まりました。

 エイズに関するポスターについて考えることは、表現するという立場に立った人間の持つ責任について考えること、公共の場で公然と行われるイメージ・表現による暴力について考えることでもあります。ポスターというメディアは、日本では商品広告として以外はあまり機能していないのが現状だと思いますが、そこに見えてくる問題点の多くは、TV・ラジオ・雑誌等のメディアが抱える問題点と共通のものであり、同時に、アートと呼ばれるジャンルをも当然含む「表現と呼ばれるもの全般」にかかわる問題と言っていいと思います。

 今回のAPPのポスター展は、過去数年間にAPPと周辺の友人たちが集めたエイズに関するポスターを、主に日本とドイツ・オーストラリア・アメリカ等の国々という対比で展示するものです。

 もちろん、エイズをめぐる状況はそれぞれの国・地域によって、感染者数・人々が抱いている危機感・セックスに対する道徳観・経済状況、どれをとっても違っているでしょう(ポスターで見る限り、ネパールなどは道徳観という意味ではどちらかというと日本に近いと思います)。それでも、あえて日本のポスターとドイツ・オーストラリア・カナダ等のポスターを対比させたときに見えてくる意識の違いには驚かされます。エイズという病気そのもの・セックスという行為そのものから、かたくなに目を背け、愛と勇気という言葉で隠してしまおうとする日本のポスター。これは、ただ単に文化・価値観の違いという言葉ではけっして片づけられない、根源的な問題を提起しているのではないでしょうか。情報・メッセージを発信する人々の、表現に対する姿勢こそが問われているのです。

「すべての人」のためであるかのような表現は誰のためのものにもなり得ない。

 日本の「エイズ啓発」ポスターの中で、社会の多数派と呼ばれる人々の道徳観に基づいて発せられる情報やメッセージは、何の役にもたたないどころか、むしろPWA(HIVに感染している人)に精神的なダメージを与えうる、ひいてはPWA が生活している他ならぬこの「日本社会」をさらに居心地の悪いものにしているのではないでしょうか? 何の役にもたたない「道徳観」によって限定・操作された情報やメッセージではなく、現実に存在する人に、今、必要な情報・メッセージを発信することこそが求められているのではないでしょうか。ドイツやオーストラリアのポスターの中で、人々が自分自身の現実の生活・セックス・セクシュアリティーについて語り、自分のために友人のために発信する情報・メッセージは「表現の可能性」というものを確実に感じさせてくれます。

以下の展示は、

1 「愛」と「勇気」で何が伝わるか?(エイズから逃げ続ける日本のポスター)
2 当事者とは誰のこと?(HIV感染者のための情報・メッセージ)
3 女性が主人公の・女性のためのポスター
4 道徳とは特定のイデオロギーのことだ(ドラッグ・アルコールとエイズ)
5 セックスに関する具体的な情報とは何か?

の、5つのパートに分かれています。ごゆっくりご覧ください。(1997.4.3)

AIDS Poster Project

enter
Web版ポスター展に入る





top_page No.2 back_page this_page next_page No.6 No.7 No.8 No.9
RedRibbon

inserted by FC2 system